今回はこのようなテーマでお話しします。
唯物論というのは「存在が確認できる物質を物事の中心におく」という考えを持つもので、現代医学はすべてこの考えに基づいています。
つまり、組織とか、内臓とか、細菌とか、血液成分とか、すべてその存在が何らかの手段を使って確認でき、「それがどう変化した」とか、「なくなった」とかいう事実に基づいて治療が進められます。
例えば、子宮筋腫などでは筋腫の存在が悪なわけで、それを除去または消滅させることが医療の目的となります。
一方、観念論というのは存在そのものをみるというより、「対象が何であろうとそれが存在するのはある観念を持って初めて成り立つ」という考えです。
中国医学や漢方医学はすべてこの考えに基づいています。もっとも最新機器などなかった古代では体の内側なんてブラックボックスでしかなかったので、そうなるのも当然ですよね。
同じく子宮筋腫で言えば、筋腫そのものの除去や消滅よりも、なぜそれが育ってしまったのか?を推察し、それができにくい又は小さくなれるような体内環境を作っていくことが医療の目的となります。
こうして比べてみると、見ている対象が違いますよね。
現代医学では筋腫そのもの(唯物)、中国医学ではその環境(漢方的体質偏向という観念)をみているわけなので、おのずからアプローチも変わってくるのです。
こう考えればもし筋腫を切除しても、多発性だったり、すぐにまた出来てしまったりすることは現代医学では不得手です。一方、できにくい環境を作ったり、多発性ならいくつも同時に小さくしたりなどは中国医学が得意です。
(また筋腫が一個で大きく育ちかつポリープ状で切りやすい、というのなら中国医学で体質改善で少しずつケアするよりも、病院で切った方がいいと判断できます。)
今の時代、医学は現代医学が主流なのは当然ですが、進歩しつつも新しい病が生まれたり、治ることのない慢性病を治療し続けたりといった弊害があることも事実です。
人間若かりしときは「病気は治る」ものなのであまり気にしないかもしれませんが、歳をとって「病院では治らない」という事実を目の当たりにするとそうした弊害に気づいてくるものなんです。
命という大きい目で見てみると、現代医学にしても中国医学にしてもそれはそれぞれ一部であって、全部ではありません。だからどちらかに固執するのではなく、両方のいいところを取っていくのが一番いいんです。つまりそれぞれの弱点を補いあう関係です。
前にブログに書かせてもらいましたが、そうした認識を持っていると
たとえば高血圧などは、現代医学では「原因は不明。だからひたすら降圧剤で血圧をコントロールするしかない」といったものが、中国医学の理論を使えば「原因を推定し、その原因に応じた治療を漢方薬でも現代薬でも可能となる」といったように治療に役立てることができるのです。
私は観念論側の人間ですが(笑)、選ぶ患者さんは受ける医療のうち、ある程度は中国医学(漢方医学)の可能性といいうものを信じてほしいものです。正しく使えれば、それが常識を覆す入り口でもあるのです。